『赤毛のアン グリーンゲイブルズへの道』

亀屋万年堂の水ようかん (抹茶)
亀屋万年堂の水ようかん (抹茶)。スライムみたい。
(写真は本文とだいたい関係ありません。)

映画『赤毛のアン グリーンゲイブルズへの道』が上映されています。映画と言っても、1979 年に放映されたテレビアニメの第 1 話から第 6 話までを再編集したもので、特に新しいものではありませんしいわゆるディレクターズカットとかマッシュルームカットとか物理ダメージ 50% カットとかタイガーアッパーカットとかでもありません。『赤毛のアン』というアニメは意外に根強い人気があるようで、衛星放送やローカル局なんかではわりと頻繁に再放送されていますので、いまさら「映画」として上映することにはちょっと不思議に思わないでもありませんが、「初心者向けのイントロダクションっぽくまとめてあるのかなー」とか編集内容に興味を抱いて見に行ってみました。ほんとはお友達が「見たい!」って言ってくれたのが一番の動機なんですけどね! 洗脳のチャンス... もわもわ...。

実際のところはほとんど元と変わりませんでした。テレビアニメでは、オープニング曲やエンディング曲を覗いた本編は 1 話あたり 20 分程度です。お話は第 6 話は前半まででしたので... 5.5 話分の 110 分を 100 分に収めたということですから、まぁ、ほとんどそのまま、ですね。当初の私の予想では、花舞う中アンが空へ昇って行ったり妖精が小川を泳いでいたりといった、誰かさんが 電波 と呼んでいたようなアンの想像の表現がカットされているのではないかと思っていたのですが、実際にはそのような妄想シーンはバッチリ残っていて、馬車の上での会話が端折られていたり、ちょっとした「(時間的な) 間」が削られていたようでした。演出の 高畑勲 によると、各話のつなぎ目のところが主な削りポイントとのことです。ですから、初めて見る人のための導入としても悪くないかもしれませんね。妄想シーンに引かなければ。

今回の映画では、孤児であるアンがカスバート兄妹の住まうグリーンゲイブルズに受け入れられるところまでが語られます。孤児院を出てカスバート家へ赴くも「カスバート家が欲しいのは男の子だった」という事態に直面して悲嘆に暮れたり、別のいじわるおばさんにもらわれそうになったり、でもそれが返っていい結果につながったり。久々に『アン』を見てアンの大仰なリアクションにはやっぱり見てクスクスと笑ってしまうものの、物語冒頭は視点がややアンに寄りすぎていて、私が考える「『赤毛のアン』の面白さ」は薄めです。あまり『アン』を知らない方は『赤毛のアン』は思春期の女の子向けのファンシーな物語だと認識していることも多いようですが、実際には アンと、アンを取り巻く人々の物語 なのです。このことは、今回の映画公開にあたって行われた インタビュー の中で高畑勲も言っています。

見る人は、アンの立場にも立てるけれど、マリラの立場にも立てる。あるいは傍観者として人間模様を楽しむこともできる。いろいろな立場から見れば、同じものごとも違うふうに見えてくるわけですね。

みたいな。私も初めて『アン』を見たときにはアン視点でしたが、今見るとほとんどマリラ視点です...。ですから、今までアンのオーバーリアクションを敬遠してきている方にも、ちょっと視点を変えてもう一度『赤毛のアン』を見てもらえればな... って思います。アンのほかにもオモシロい人たちがいろいろ出てくるよ!

ちなみに、映画の中で出てきたセリフで私が気に入っているのは、マリラのこんな。

「アンはほんとにわかりやすいちゃんとしたいい名前だよ。恥ずかしがるには及ばないね。」

わかりやすい名前。いいよね。暴走族みたいのじゃなくって。

『赤毛のアン』LD BOX

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